義父母の容態

 よっしーと私は2度めのお見舞いでした。実際に行くと容態が良く分かります。
 義父は、明らかに調子が良さそうでした。肺炎は、食道と気管を分ける手術をして、直って、再発はしなくなったので、落ち着いていました。
 真冬なのに、病院の中は暑いのか、とても薄着で、うすーいパジャマの上に、小さめのタオルケットがかかっていて、胸から上と、足首から下は、出ていて、左右は幅が身体の幅丁度ぐらいで、体側?は覆われない感じでした。
 もう声は出せなくなっていますが、表情と、瞬きで、肯定か否定かの意思表示をしたり、よっしーが目の前に来れば、明らかに嬉しそうで、笑っている感じも分かりました。少し安心しました。
 よっしーがバイバイと手を振ると、もうあまり動かさなくなっていた右手の指先がかなり頑張ってバイバイという風に振られて、よっしーも喜んでいました。
 このまま肺炎が再発しないで、落ち着いた状態が続けば、2月には、転院出来るそうです。

 義母は、かなり良くなっていました。あごと首の傷は目立たず、表情も元気そうでした。左足はもう治っているので、後は複雑骨折した右足が治るのを待っている状態です。
 外泊するにあたり、絶対に転ばないように、、、そして、松葉杖を付いて歩く場合、必ず介助してもらって、支えてもらえるように、、、との事でした。
 しかし、保養所は丁度エレベーターを増設したばかりで、車椅子用に少し改善されていはいましたが、まず入り口からして階段ですし、結構大変でした。
 一見平らに見える、お手洗いの入り口や、エレベーターの入り口も、ほんの数ミリの出っ張りがあって、私が押しても前に進まなかったりします。
 とにかく困ったのが、車椅子から降りたり乗ったり、そして、お手洗いに行く際、身体を支えようと思っても、支えられない事、そして、抱えあげようとしても、どうも別の方向に引っ張っているようで、あ、待って!と制止されて、結局は何の役にも立たず、ご本人がひたすら、ころばないように頑張って、何とか左足に体重をかけてきちんと立つようにするのが一番の近道でした。
 最後の方は、もう夫が背負ったりして、移動する場面も何度かあり、夫でもかなーり大変そうでした。

 義父が退院した場合には、もう誰も支えられなさそうです。

 義母の頭の方は、CTスキャンでは問題なしと言われていますが、たまーに、んん???という事があります。
 たとえば、今回、一番大きな事では、よっしーの事を1才半だと信じていました。途中で誤解に気づいた夫が、2才のお誕生日会をうちで皆で集まって盛大にお祝いしたじゃない?とお話してみて、あー、そうだったわねーと、ようやく納得してくれました。でも、それじゃあ、来年の11月は七五三という事?と、おかしいわーという感じでした。一年分も記憶が飛んだのでしょうか。日常の趣味のことはよく覚えているようで、生活には支障はなさそうでした。
 退院の日も、1月末に決まり、夫と、義姉のローテーションもそこまで打ち合わせ済みで、その後の予定もだいたい決まりました。今義姉が風邪をこじらせてダウンしているので、治ればという事になりますが。

 夫は、例によって、自分自身の行動を、予告もしなければ、報告もあまりしないので、今日までの事が、義母にはきちんと理解してもらえていなかったようでした。どんなに大変かという事が、義母にもようやく少し分かったみたいで、深々と頭を下げていました。
 家の事なんかほうっておいてくれていいのに、気持ちがやさしいのね。とつぶやいていました。

 義母の年賀状を夫が作る事になって、今日はリストをチェックしたり、デザインを選んでもらったりしました。年内には出せない事も、あまり理解はしてもらえていなかったので、全然時間がないので、元々年賀状は元旦に作る事になっていたんですよーと私が変わりにお話すると、かなりがっかりしていましたが、その後直接夫と話していて、夫が、今から作るんだから元旦に着くはずがないと声を荒げたのでようやくあきらめたみたいでした。
 入院していても、すべて遅れないように滞りなく進めたいようで、それを夫に頼むので、いつも実家に行っては、言われたものを探し回るのが大変で、宝探し状態になっているようです。

 以前、私が妊娠中に自宅安静だった時の事を思い出しました。すごく色々やってもらっているのに、まだまだお願いしたい事が沢山あって、でも、それはやってもらえない。自主的にならどんどんいくらでもやるけど、頼まれた事をするのは大変なんですね。